いつだって、世界は青空だから

世界を渡り歩いてきました。どんな時だって、どこで見たって、青空は繋がっていた。

目の当たりにする戦争の痕跡

【世界一周183日目】

 

どんなところか知らなかったけど、

 

私が生まれた時はまだ戦争をしていたというサラエボ

 

どこか遠い国ことのように感じてしまう平和ボケの私にはいい学びだった。

 

 

あちこちにある銃弾の跡

 

ホステルの近くはどこかジブリにも出てきそうな田舎の風景。

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とても普通な日常風景が見られる一方で、

 

いたるところの家の外壁には銃弾の穴の跡。

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そして町の中心にある大通りの名前は「スナイパー通り」。

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戦争の時、ここをセルビア人のスナイパーが包囲していたため

 

動くものは全て射殺されていたことから名付けられたそう。

 

兵士だけでなく、一般市民も子供も動物すら。

 

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このホリデーインには世界中のジャーナリストが

報道するために危険を承知で泊まっていた場所。

 

もちろん日本人の報道の人たちもここにいて、

 

目の前で繰り広げられる銃撃戦をここから見ていたと思うと・・

 

 

少し離れたところにサラエボオリンピックを開催した跡地があるというので

 

散歩がてら行ってみた。

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オリンピックが開催されたのは1984年。

 

そのわずか8年後には戦争が始まり、現在の跡地は墓地となっていた。

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終わりが見えないほどのお墓の数々。

 

多くの人が私と同世代の人たちだけど、1995年あたりで亡くなっている。

 

平和の祭典が行われた数年後にこうなっていることを

 

きっと誰も予想していなかっただろうと思うと悲しい。

 

 

そしてこのラティンスキー橋。

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一見よく見かける歴史ある橋のようだけど、

 

ここでオーストリアの皇太子が殺されたサラエボ事件が起こり、

 

それが第一次世界大戦の原因の1つとなった場所。

 

この小さな橋からあんな大戦争になったとは想像がつかなかった。

 

 

世界を歩くと身をもって色んなことを目にして感じられるから止められない。

 

 

夕方にはホステルの近くに戻り、お茶をしてお土産を物色した。

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夜ご飯はまたハマったチェバプチチ!

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夜行バスの時間になり、バスターミナルからザグレブ行きのバスに乗った。

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街中にここまで戦争の痕跡が残っている場所を見た事がなかったので

 

結構衝撃だったけれど世界一周だったからこそ来れたこの地。

 

忘れないでおこう。